話すように書くのは、文章が苦手だから?

とあるwebの記事を見ていたら、「文章を書くことにあまり慣れていない人は(略)文章を書くと考えずに、(略)試しに口に出してしゃべってみよう」と書いてあった。そう思ってみると、実篤の文章は対話が特徴的だが、それは文章が苦手だったからかもしれないと思った。ここで文章と言うのではなく、当時の美文調の文章や自然主義の描写のこと。それが書けないから、話すように書いてみたのではないかと。
実篤自身、平面描写は苦手と言っていたし、学校でも苦手な教科は国語と図画(後にそれが主な仕事となるのだが)としていたのも、学校で求められるような文章が書けないということもあったのかもしれない。そもそも、昔も今も学校で

「神様。」
「なんだ。」

みたいな文章(引用は「人間萬歳」の冒頭)を教えたり書かせたりすることはありえない。
※上記に引用した文章は、下記の記事からです。